「 栄養欠損 」一覧

子どもの体調と洋服選びの変化

子どもの体調と洋服選びの変化

ある女子高校生の話。 小学校の低学年まで学校を始め欠席したことがなく、元気いっぱいで活発。 なんにでも興味を持っていて勉強も大好き。 食事も好き嫌いなくよく食べて・・ ところが年齢が上がってくるに従って次第に体調が悪くなり学校も休みがち。 成長期に大なり小なりありがちな状態。 登校出来ない、体調が悪い、だけでなく性格も行動も変わっていきます。

皆勤賞をめざして新学期の準備を!

皆勤賞をめざして新学期の準備を!

新学期・新入学・新入園 新しい環境でのスタートを元気に迎えたい。 病気などでお休みしないで通ってほしい。 親の願いですよね。 生活習慣が大事なのは知っているけれど、何をどう気をつけたらいいのか? 具体的にどうしたらいいのか? 気がつかない、なにげなくしていたことにも落とし穴が見つかります。 生活習慣と同じかそれ以上影響があるのがお食事です。 毎日朝・昼・晩と食べていくものですからこれまた積み重ねですし、何よりも私達の体とこころを作っています。 子どもはそれに加え大きく成長しなければなりません。

ムンク展を観て・・幻覚、幻聴に悩まされたムンクの叫び

ムンク展を観て・・幻覚、幻聴に悩まされたムンクの叫び

この叫びを観たとき、ムンクが幻聴・幻覚にしばしば悩まされていたことを思い出しました。 ムンクは相次ぐ身内の死による恐怖と不安とにつきまとわれていたといいます。 アルコール依存もあり、精神病院への入退院も繰り返していたとか・・ 「叫び」は連作され(5点以上とか)それぞれにテンペラ画、パステル画、油彩などがあるといいます。今回そのうちの2点が公開でした。

イーハトーブ  宮澤賢治を訪ねて~賢治が短命だった理由は?

イーハトーブ  宮澤賢治を訪ねて~賢治が短命だった理由は?

宮澤賢治は菜食主義者だった・・ 私のイメージでは賢治は苦学して貧しく若くして病に倒れて亡くなったイメージでした。 ところが略歴を読んでいくと宮澤家は裕福であり、両親とも賢治の死後、長生きして父政次郎は83歳で、母イチは86歳で1963年(昭和38年)に亡くなっています。 賢治が亡くなったのは37歳。肺結核とあります。 盛岡高等農林学校研究生であった22歳の時、5年間菜食生活を送った、とあり途中は菜食にこだわらない食生活の期間もあったとの記述がありますが、その後は粗食を貫いた、とあります・・ 病に倒れたとき母イチが見かねて賢治に内緒で鯉の生き血をオブラートに包んで飲ませたことがあったそうですが、後日それを知って 『生き物の命を取るくらいならおれは死んだ方がまし』といい1933年9月肺結核で37歳の生涯を閉じたのです。 菜食の上に粗食、これが賢治の命を縮めたことは間違いなさそうです・・

体調が悪いと感動出来ない・・春爛漫 美しさに気がついた今日この頃

体調が悪いと感動出来ない・・春爛漫 美しさに気がついた今日この頃

日本各地、桜の便りが届いていますね Facebookで繋がっている方々もきれいな桜の数々の写真をアップしてくださってうっとりして癒やされています 日本の春は本当に美しいですね このところの気温上昇で木々の若芽も芽吹いていてその色のきれいなことといったら~ 20年前の私は健康のためと称して菜食に近い食事をしていました 肉は体によくない、ガンになる、腸が汚れる  と信じていました 肉も魚もちょっとしか食べていませんでした・・ なので今、当時の人間ドックなどの血液検査データーをみるとなんとゾッとする位ひどい低栄養 貧血もひどかった 疲れやすかったし、朝は起きられない、子どもを送り出してからは寝ているし、タンパク質も食事内容もよくなかったのですぐお腹がすいてお菓子と砂糖をたっぷり入れたコーヒーや紅茶をどうにか嬉々として飲んでいましたから・・ だるいし、イライラするし、体は冷えているし・・ 昼ごはんが終わると子どもが帰宅するまで昼寝・・ そういうのが重なって婦人科系の病気にもなって手術もしてる・・ 子育てと介護  低栄養の体で一杯一杯でしたね・・ 本人、すごく大変な状況、って気がついていなかったのはなんとも・・ でもデーター見るとそれがはっきり分かります