戦中に言われていた砂糖の害?・・宮本百合子

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戦争と砂糖

砂糖の害を知りたくてこの一年くらいの間、絶版本を含め何冊かの本を読みました。
砂糖の栽培や摂取についての歴史は随分古く紀元前から行われ始め、砂糖を巡って戦争や紛争さえも起きていた・・・という記述もあります。

日本には鑑真によって745年頃に持ち込まれ、1727年 八代将軍徳川吉宗がサトウキビ栽培を奨励している。

そして明治時代などの戦争時期に兵隊を集める為に、米(白米)や砂糖がふんだんに食べられると言う宣伝に使われていた・・・

二十世紀の疫病 低血糖症

砂糖は体も心も狂わせる―学校・家庭内暴力も砂糖のとりすぎが関係 

両著共 高尾利数著

けさ調べ物があって検索していて出会った興味深いものがあったのでご紹介します。

戦中にすでに言われていた砂糖の害・・宮本百合子

『宮本 百合子』についての私の知識と言えば、プロレタリアの作家であること、日本共産党元委員長宮本顕治の元妻であったこと位。

宮本顕治と共に投獄、執筆禁止などを繰り返しながら民主主義文学の活動をしていた人だという。特に女性に関する出版物が多いように感じています。

砂糖のことについて戦後の1948年に次のように書かれているので一部引用。

漢数字部分はブログ筆者がアラビア数字表記に変更、および引用文章の太字を強調しました。

全文はこちら  (リンク切れで掲載不可)

年の暮れに珍しくお砂糖の配給があった。一人前30グラムを主食33グラムとひきかえに、十匁を砂糖そのものの配給として配給され、久々であまいもののある正月を迎えた。お米とひきかえではねえ、と云いながら、砂糖を主食代りに配給されることについておこった主婦はなかった。

きょう新聞をみると、政府は主食代用を主な目的としてフィリッピンその他から砂糖を55万トン輸入することになったと出ている。

いまの東京の、疲労のはげしい毎日の生活で、疲れのやすまる甘いものがこうして段々ヤミでなくて一般の家庭にもゆきわたるだろうと思えば、暗い心持はしない。それにつけても、わたしたちは、戦時中のことを思い出さずにはいられない。

人民生活に砂糖の消費が制限されるようになって来て、遂に全く砂糖なしになって来た頃、いろいろな栄養学者、医者たちは、あれほど口と筆との力をそろえて、砂糖が人体に及ぼす害について宣伝した。砂糖は骨格をよわくする。砂糖は血液を酸化させる。砂糖は人間を神経質にする。実に砂糖の害悪を強調した。

一方、勤労動員されたすべての少年少女が、何よりほしがったのは甘いものだった。肉体をこきつかわれた疲れを、せめて甘いものでいやしたくて、「上品」だった筈の女学生たちは寄宿舎で、ぼた餅やあんころの話に羨望した。甘いものも食い放題だし、ということは、はっきり特攻隊や予科練へ若ものをひきつける条件の一つだった。

米代りの砂糖が配給され、フィリッピンからの砂糖の話をよむとき、わたしたちは、砂糖一つについても、あるべき社会的な責任というものについて、政府と、栄養専門家に答えて貰いたい心持がするもし、あのとき、あんなに砂糖の害悪だけを主張したことが科学の真実なら、主食代りに砂糖をなめさせることは余りひとをばかにしたことではないだろうか。レールをとりかえる金さえないのに、害悪があるという砂糖を、何の義理で買いこまなくてはならないというのだろう。

もしまた、適度の砂糖は人間の健康に必要なものであるから、というのならば、つい先頃まで砂糖の害だけを云いたてて、科学的に国民保健上最低の糖分の必要さえ示そうとしなかった政府と栄養専門家、医者たちの軍事的御用根性について、この際正直に反省してほしい。

平和な日本をうちたててゆくということは御都合主義で、あっちの風がふけばそう靡(なび)き、こっちの風がふけば、こうなびく無責任さでは実現されない。科学上の真実は、社会の実際にそれが変化してあらわれるからこそ、動かしがたい真実として存在しなければならない。

砂糖の必要量がとれない条件があるからこそ、適量の必要が科学的に主張されなければならない。日本の主婦の科学精神がめざまされなければならないとしきりに云われる。科学の精神とは、決して食品のカロリー分析の能力ばかりをさしていない。砂糖を食品として科学的に理解するとともに、その砂糖が今日の社会で、どういうありかたをして来ているか、ということについて発見し、それをほんとに民族生活の幸福のために、合理的に調整してゆく実力も、明日の女性の人間叡智の内容となって行かなければならないと思う。 ・・後略
〔一九四八年一月〕 婦人民主新聞 初出 1948(昭和23年)1月12日号

政府や専門家が砂糖の害を実際言ったのは文章から戦中だったらしい。

戦争中の物資の乏しいときに、国民に対して「こういうご時世だから我慢せよ」と言うと共に「砂糖はこんなに害があるのだから摂ってはならない」と言ったのだろうか?それとも本当に砂糖の害を憂いて言われたことなのか・・・??
ちょっと分からない。

けれど国民にとって米と共に大切な食料だったことは確かなようだし、甘い物への渇望は私の亡母・亡義母達の話からも経験上想像がつきます。

貧しい食糧事情のなか、少量で素早くエネルギーとなる物質として砂糖などの糖分は即効性と共に珍重されたのかも知れない・・・

どちらにしても今ほど砂糖の摂取量は多くなかったれりど、砂糖への渇望=低血糖症の疑いもあったのではないか?というのは本当かどうか分からないが私のお決まりの感想。

注・砂糖の摂取は血糖値の急激な上昇・下降で心身共に不調が出やすくなり、砂糖依存症にもなるとして害の方が深刻であるという事を忘れてはならないです。

砂糖に関する1つのエピソードとしてご紹介しました。

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てすとてすと

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