丹下 ウメ(梅子)  ビタミンB2複合体の研究

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丹下ウメ(梅子)という人

まずトップの写真をご覧ください。

この胸像の方が「丹下ウメ(梅子)」氏であり、偶然にも9月初旬に旅行した鹿児島市内で出会いました。

この胸像を見るまでは、丹下ウメに関することは全く知りませんでした。

鹿児島市の中心部、商店街に「山形屋」という鹿児島では老舗のデパートがあります。

そのデパート横にこの胸像があったのです。

略歴に『ビタミンB2複合体の研究』をした方、と書いてありこれは見逃すわけにも素通りするわけにもいかないと、一緒に写真も撮りました。

簡単な経歴を記します。
丹下ウメ(梅子) 資料によっては梅子と書かれているものもあるがどちらが正しいかは不明。

1873年(明治6年)鹿児島県鹿児島市、現在の山形屋付近で誕生
1958年(昭和33年)82歳で亡くなる

生涯女性化学者の草分けとして学究一筋、独身を通した。

鹿児島師範学校(現在の鹿児島大学教育学部)を卒業後、28歳で日本女子大学校家政科一回生に入学、卒業後に女性初の中等化学教員検定試験に合格した。1914年(大正3年)41歳の時に東北帝国大学理科大学化学科へ入学し、その時合格した他の女性2名と共に女性で初めての帝大生となる。

東北帝大を卒業後、アメリカに9年間留学し、4つの大学(スタンフォード大など)で主に『栄養化学』を学んだ。

1927年(昭和2年)54歳 ジョン・ホプキンス大学からPhD(Doctor of Philosophyの略・理系の最高学位・博士号)を授与される。

帰国後母校の日本女子大で栄養学の教鞭を執りながら、1917年(大正6年)に創設された「理化学研究所」に入所し、ビタミンB1の発見者である鈴木梅太郎の元でビタミンの研究をする。

1940年(昭和15年)67歳 ビタミンB2複合体の研究で最高学府である、東京帝国大学(現東大)から農学博士の学位を受ける。

その後、日本女子大で78歳頃まで教鞭を執った、という。

脚気の治療にビタミンB1が必要だという発見と研究を鈴木梅太郎がしたことは、世界的にも有名だけれど、当時女性で帝大を卒業した後、アメリカで研究し、学位まで受け、この鈴木梅太郎の元でビタミンの研究をした人がいたのには、正直驚きました。

今も昔も研究熱心ですばらしい人がいるものだと非常に感銘を受けました。

今の日本に於けるビタミン研究にも私達が知らないだけで大きな貢献をした方。

私が日頃お世話になっているビタミンB群。

丹下ウメさんに敬意を表したいです。